正しい戦争と不正な平和

今回も自分が学んで来た中から大切だと思う教えをシェアしたいと思いますが、いきなり質問をぶつけさせて頂きます。

正しい戦争状態と、不正な平和、どちらが良いですか?

ご存知の通り、中東では現在も戦争が続いていますが、それはイスラム過激派が自分達の信じる正しい事を実現するために繰り広げられています。

逆に、日本は平和が続いているように見えますが、政治の世界では根回しなど様々な不正が横行しています。

一方は正しさを追求しているけれど、常に戦争状態にある。
一方は不正だらけだけど、とりあえずは平和状態にある。

さて、どちらを選びますか?

恐らく、多くの方は後者を選ぶと思います。

僕自身も同じです。いくら正しくあろうとしても戦争は嫌ですよね。少しくらいは不正があっても平和を望みます。

そして、その感覚は多分間違っていません。

実際、中東の戦争国と日本でどちらが生きやすいかと言えば、それはどう考えても日本です。
日本ではいきなり殺されるなんて事はまず無いですし、食べれなくて餓死するなんて事もありません。

戦争国ではそれが普通に起こり得ますから、正しい戦争よりも不正な平和を選ぶというのは至極真っ当な判断だと思っています。

しかし、これが身近な問題になってくると、我々は逆の選択をしてしまう事が少なくありません。

正しさを追求して戦争を引き起こそうとしたり、不正を取り締まってせっかくの平和を壊したりして、その結果、人生が生き辛いものになって行きます。

今日はこの話をしたいと思います。身近に起こる正しい戦争と不正な平和、そして生きやすい選択についてです。
人生に迷った時の道標になると思うので、良かったら見てみて下さい。

原発ゼロ

さて、戦争や平和というキーワードから連想すると、日本には原発問題があります。

311 をきっかけに原発が問題視されるようになり、電気供給をどうするかが議論されるようになりました

確かに原発は怖いです。
爆発したら大惨事です。
放射能汚染もあります。

しかしながら、原発を廃止すると、日本の電気供給が苦しくなるのもまた事実であり、大変悩ましい問題だったりします。

そんなデリケートな問題であったにも関わらず、原発を完全に悪い物だとして、全国で原発を廃止する運動が盛んに行われたと思います。

特に健康オタクの方に多かったと思いますが、彼らは正しい信念の下にそれを訴え、中には過激な行為に出る人もいました。

そんな方達に聞いてみたい。

原始人みたいになりたいのですか?

最近の事情はさておき、少なくとも当時、原発を無くすという事は電気が正常に使えなくなる事を意味していました。
部屋は真っ暗になり、エアコンも洗濯機も使えなくなり、電車やバスも止まって移動も困難になっていた事でしょう。

そんな生活に戻りたかったのでしょうか?

僕はこれこそ正しい戦争状態と思うのです。

自分達の正しい信念に従って、国民生活を戦争下のような状況に落とすからです。
勘違いして欲しく無いのですが、僕だって原発は好きではありません。あんな危ないものが地上にあるのは怖いです。
そもそも原発は潜水艦用のエネルギーで、万が一の時は海底に沈められるはずのものでした。

陸上に移すという事になった時に抗議した技術者はたくさんいたそうですが、その時に止められるものなら止めて欲しかったと思います。

しかし、現実として多くの原発が地上に存在し、それが社会基盤になっていたのは事実です。
そういう状況でいきなり原発ゼロを唱えるのは、余りにも無謀というか無責任だったように感じます。

将来的に原発を減らしていくのは良いと思いますが、それまでは今やられているように折り合いを付けながら共存していくのが最善の策ではないかと思います。

危険な存在をそのまま残しておくという意味で、それを不正と呼ぶ方達もいるとは思いますが、それで当面の平和が保たれるのならそれが良いと思うのです。

北朝鮮を潰せ

こういう考え方は北朝鮮問題も同じです。
日本では拉致問題以降、北朝鮮が問題視され、政治的にも重要なテーマとなりました。

確かに北朝鮮は怖いです。
ミサイルも打って来ます。
核兵器もチラつかせています。

しかしながら、北朝鮮は国家なので、潰れた後は大量の移民が発生してしまう事は避けられず、これもまた悩ましい問題になっています。

それにも関わらず、北朝鮮は悪者だから早く潰せと叫んでいる方達がたくさんいて、やはり正義の名の下に過激な行動に出る人もいます。

そんな方達に聞いてみたい。

難民はあなたが受け入れてくれるのですか?

多分無理でしょう。極端な話、明日から北朝鮮の難民を 1 人養って下さいと言われて、素直に「はい」と言える人はなかなかいないと思います。

確かに北朝鮮は悪い事をしているかもしれません。

しかし、北朝鮮がまだ潰れないでいるおかげで、我々の日常が平和を享受していられるのもまた事実です。
長期的に北朝鮮問題を何とかするとしても、現時点で悪だからサッサと潰してしまおうと言うのは余りにも短絡的です。

それこそイスラム過激派と変わりません。
北朝鮮を放っておく事が不正だとわかっていても、当面の平和のために今はまだ手を付けないというのも、決して悪い事では無く、むしろ尊重される選択だと思うのです。

沖縄の憂鬱

そう言えば、僕の知人で毎年沖縄に行かれる方がいますが、沖縄の松山という繁華街には違法風俗店が当たり前に存在するそうです。

どれくらい違法かと言うと「未成年専門店」という看板が普通に掲げられているレベルです。

こんなものは東京にあったら一発でアウト。風営法違反ですぐさま警察が動きます。
しかし、松山の違法風俗店が摘発される事はありません。

警察も知っていますが、無視しています。
誰もが見て見ぬフリをしています。
何故なら、そこを摘発してしまうと、一切暮らせなくなる人が溢れ出るからです。

知っている方もいらっしゃると思いますが、沖縄県は日本でも有数の格差県です。
お金持ちもたくさんいる一方で貧困層も多く、日本で最も所得が低い県になっています。

ついでに言うと沖縄は、
・できちゃった婚率全国 1 位
・離婚率全国 1 位
・DV 発生率全国 1 位
・ニート率全国 1 位
と 5 冠を達成しています。

こういうのは全て格差の貧困層に当てはまりますが、その方達にとって風俗は大切な収入源です。

そこで働か無いと無いと食べていけません。
ここが最後の防衛線なのです。

それなのに、不正だからダメと言って切り込んでいったらどうなるでしょう?

彼らが食べていけなくなってしまうのは勿論、そのせいで暴動が起こってしまうかもしれません。

これも正しい戦争状態です。
だったら今はその不正を見逃して良いと思いますし、実際に現地ではそれが採用されているわけです。

中には正しく無いと怒鳴り立てる人もいますが、平和を維持するために、敢えて不正を取り込む事が重要な決断になる時もあるのです。

不倫ダメ絶対

こういう事は夫婦関係にも言えたりします。
正しさという観点からすると、夫婦であれば浮気や不倫は許されません。

結婚相手は生涯に渡って愛し続けなければならず、他の相手に不貞を働く事は不正とされます。

しかし、時と共に愛情が冷めて夫婦の営みも無くなるというのは別に珍しい事ではありません。

嫌いではないし別れたいとも思っていないけれど、それとは別に新しい恋をしたくなる事だってあるでしょう。

そして、実際にその機会が巡って来る事もあると思いますが、そんな時に浮気はダメだと言って頑なに禁じていると、逆に夫婦関係が悪化してしまったりします。

愛情が不足し、ストレスや欲望が溜まり、次第に伴侶の悪いところばかり目につくようになったりして、結果として離婚に発展しまったりする事があります。

正しい戦争状態です。

逆に暗黙の浮気や不倫がある事で、夫婦関係が平和に保たれる事はよくあります。愛情が満たされ、ストレスも溜まり辛くなる事で、喧嘩も無く長続きしたりするわけです。
実際、お金持ちの夫人というのは旦那さんの浮気を黙秘する傾向にあります。彼女達は自分の暮らしの平和を守る為、敢えて不正を見逃しているのです。

長寿なジャンキー

ちょっと変な話になってしまいましたが、我々が興味の強い健康で考えてみましょう。
健康を正しく目指すのであれば、タバコは吸ってはいけないと言われますし、健康至上主義者の方達は酒も禁止します。

お菓子だって食べてはいけませんし、添加物や農薬などのケミカル物質は論外です。

しかし、それは可能でしょうか?

そんな完璧な食生活を毎日続ける事が出来るでしょうか?

今が石器時代であれば簡単な事だと思いますが、現代社会を生きる多くの人にとっては難しい事だと思います。

「あれもダメ」「これもダメ」と言い続けられたら、食べたいものが何も無くなってしまって、ストレスで体を壊してしまうかもしれません。

それこそ正しい戦争です。

だったら多少の不正は許してあげて、可能な範囲で気を付けていけば良いと思うのです。

ちなみに、僕はこの事を前々から言っていますが、現代人が多少の薬物に頼る事は悪い事だと思っていません。

そうする事で逆に健康になる事もよくあるからです。

実際、酒を飲んだ方が体調が良くなる方はいますし、90 歳を越えてもタバコを吸って元気な方もいます。
不正があった方が体にとっても平和という事は多々あり、正しさを徹底するよりも良い結果に繋がったりするのです。

ジャンクフードも食べたらいいと思います。
ジャンクフードは不正な食事の代表格ですが、簡単に大量のカロリーを摂取する事ができて、結果、食事のストレスが大幅に減り、効率的にバルクアップしていけます。

だいたい、しっかり筋トレする方だったら、多少悪い物を食べたからと言って健康を崩す事はありません。

取り込んだ栄養は筋肉が消費してくれますから、ちょっとやそっとの不正を恐れる事は無いのです。

「べき論」の限界

 

ここまで色んな例を使って説明してみましたが、何も妥協を推奨しているわけではありません。
そうではなく「べき論」の限界を指摘しています。

世の中では「こうすべき」「あーすべき」と言われる事が多いですが、そういう「べき」という考えが良い結果に繋がる事には限界があります。

例えば、嘘はつく「べき」では無いと言う人がいますが、初対面で会った太っている人に対して、「いや~、あなたデブですね」なんて言うべきでしょうか?

YES という変わり者もいるかもしれませんが、その人の人生はとても生き辛くなると思います。

これは極端な例ですが、今までの例も全て「べき」論の限界を説明しています。
・原発はゼロにす「べき」
・北朝鮮は潰す「べき」
・違法風俗店は取り締まる「べき」
・浮気はす「べき」では無い
・タバコや酒はやらない「べき」
・ジャンクフードは食べる「べき」では無い

全て「べき」論で語られていますが、こういうものには限界があって、望ましい結果になる事はほとんどありません。

どうして限界が来てしまうかと言えば、それが「現実的」では無いからです。
理屈ではわかっていても、正しいとはわかっていても、それが現実可能かどうかは別の話です。

健康やダイエットのために運動す「べき」とわかっていても、仕事が忙しくてなかなか実践出来ないのが現実なのです。

 

規範 VS 現実

こうした矛盾や対立は人間の頭の中で常に起こっていますが、一言で纏めれば「規範」VS「現実」と言えると思います。

こうす「べき」という規範と、そうはならない現実の対立ですが、重要なのは「現実」の方が優先されるという事実です。

何故なら、人間の脳の構造がそう作られているからです。
人間はそもそも規範的では無く、現実的に考えるように出来ています。

例えば、自分が食うのに困っているのに、アフリカの難民を助けようという人はいないと思います。

自分の家族が死にそうになっているのに、地球の裏側にいる赤の他人を助ける人はいないと思います。

それが「規範」であり、「正しい事」であったとしても、「現実」に実行できる人はほとんどいません。

稀に、マザーテレサのようなやれちゃう人もいますが、それは脳がぶっ壊れているとしか言いようがありません。
普通の人間は現実的に考えるように出来ているのです。

それでは、「規範」はどんな時に出て来るかと言うと、「現実」に害があった時に出て来る事が多いです。

自分の現実が危うくなった時、人は規範を持ち出すのです。
例えば、友達が誰か知らない相手と不倫していても、その行為に怒ったり注意したりする人はほとんどいません。

しかし、自分の恋人が奪われて現実の被害を受けた時、「不倫
はダメだろ」と規範を持ち出し始めるのです。

そう言えば、身内が交通事故に会った事で、交通対策に力を入れ始める人は多いですが、これも後から出て来た規範です。

恐らく身内が事故に遭うという現実的な被害が無ければ、そういう規範的な事は一生やっていないはずです。

人の正義なんてそんなものなのです。

戦争の理由も同じように言えます。

「自由の為」「尊厳の為」と言って戦う人がいますが、実際に戦争が起こる理由は「食えない」という現実的な被害です。

ただ「飯よこせ」という理由で戦争するのはカッコ悪いので、規範的なイデオロギーを後付けして実践しているに過ぎません。

こう考えれば今までの例も全て繋がると思います

311 以降、原発ゼロを唱える人達が増えましたが、よく考えれば原発自体はもっと昔からあります。

つまり、彼らが怒っている根っこにあるのは、原発をゼロにすべきという規範ではありません。

単純に、自分達の健康が阻害されそうな現実です。
北朝鮮も、違法風俗店も、健康法も全て同じです。

不正を許すまじとお怒りになっているのは、別に規範通りになっていないからではありません。

シンプルに、自分達に害が及びそうだかです。
ただ、それをストレートに言うのもアレなので、規範的な装飾をして、それらしく言ってるだけです。

つまり、規範とは現実の中に組み込まれています。

規範と現実は対等な対立というものでは無く、規範は現実の子どものような存在です。

ですから、規範だけで考えていると、だいたいは絵に描いた餅になります。
キレイごと、机上の空論となり、全く意味を成さないものになってしまいます。

そうならないために、我々は何かを判断する時、必ず「現実」というものを踏まえなければいけません。

だから、正しい戦争より、不正な平和なのです。

現実を無視すれば、歪が生まれて戦争になります。
現実を考慮しておく事で、平和への道筋が出来ます。

何かを判断する時にはこの事を常に考えておけると、生きやすい人生になるでは無いかと思っています。

 

強靭なバランス

最後に補足ですが、不正な平和状態というのはとても不安定です。

不正というだけあって、矛盾するものが入り乱れますから、グラグラと揺れ続けているような感じになります。

つまり、平和を維持したければ、不安定な状態に立ち続ける「強靭な」バランス力が必要になります。

これがかなり難しいのですが、そもそもバランスは取るだけで大変なものです。

例えば、体の使い方でも人間は重心を左右のどちらかに預けたがります。
休めの姿勢になったり、足を組んで座ったりと、どちら一方に体を預ける人は多いと思います。

その方が楽だからそうしているわけですが、何故楽なのかと言えばバランスを取らなくていいからです。

どちらかに偏った姿勢は筋肉を癒着させて健康被害を起こしますが、それでもバランスを取る労力に比べたらマシと思えるくらい、バランスを取るのは大変です。

考え方も同じです。

例えば、健康とボディメイクを考えた時、2 つのバランスを考えるのは難しいものです。

健康のためにカロリー制限をしなければいけないのに、ボディメイクのためにはたくさん食べなければいけない、こんなバランスを取る必要が出て来ます。

そんな大変な事は面倒なので、多くの人はどちらか一方に偏って実践します。
その結果、筋肉は凄いけど内臓がボロボロだったり、中身は健康なのに全く魅力的に見えなくなったりしますが、それでもバランスを取る大変さを考えると受け入れてしまいます。

やりたい事と稼ぐ事だって同じです。

2 つのバランスを取るのは大変なので、ほとんどの人は実践しません。

好き嫌いは別としてお金を稼げる職に就くか、お金は無くてもいいから好きな仕事をするか、どちらか一方になります。

すると、自己を見失って鬱病になってしまったり、或いは明日の食事にも困るようになったりするのですが、それでもバランスを取る大変さに比べたら許せたりします。

繰り返しになりますが、バランスを取るというのはそれだけで大変です。

そこに加えて不正状態が複雑化してくると、不安定さが増して求められるバランス力が上がって来ます。
最初は地面に立つくらいのバランス力で良かったところ、バランスボールの上に立つくらいまでの力が必要になります。

そのバランス力が足りなければ、平和は崩れます。

バランスボールの上でバランスを崩した人には悲惨な結果が待っているのと同じです。

人間関係が破綻するかもしれません。
重大な病に陥るかもしれません。
借金まみれになってしまうかもしれません。

だから、最初に「強靭な」バランス力と表現しました。

平和な状態を望むには、それくらいの力が必要なのです。

そのために必要な第一歩は、白黒つけない精神だと思っています。

何でも白黒ついている方がわかり易くて楽ですが、白黒つけるという事はどちらか一方に偏るという事で、大変バランスが悪い状態です。

ですから、本当にバランス力を養いたいなら、宙ぶらりんのままペンディングし続けられる精神を養わねばなりません。

例えば、肉食が体に良いのか?悪いのか?色んな意見がありますが、その答えに白黒つけず、どちらの意見も内包しておけるような状態です。

こういう中途半端な感じが嫌いな人も多いと思いますが、そこで平然といられる精神が大事だと思っています。

「曖昧」「どっちつかず」「あやふや」「グレー」こんな状態を許す事がバランス力のスタートです。

そして、そのバランス力が鍛えられていけば、自ずと不正な平和を乗りこなせるようになり、結果として生きやすい人生になると思っています。

と言う事で今回も長くなってしまいましたが、少しでも参考になれば幸いです。

現実を踏まえ、バランスを取って行きましょう。

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