
個人主義と集団主義、どちらを採用するかは人それぞれですが、僕は個人主義を推奨しています。
何故なら、自分を大切にして欲しいからです。
日本人は自分をないがしろにし過ぎだと思います。
お腹がいっぱいなのに、出されものは食べなければいけないとか。
減量中なのに、友人との飲み会に行かなければいけないとか。
おみやげにもらった体に悪そうなものを、受け取らねばならないとか。
そんな風に己を殺して世間に合わせていると、自分の理想は一向に叶えられません。
冒頭でお話したお客様がダイエットに失敗してしまったのは正にこの典型でした。
自分達は減量のために食事量をコントロールしたいのに、親から出される食べ物を断れなくて食べ続けてしまった事により、痩せるどころか太ってしまったのです。
せっかく運動していたのに、摂取カロリーも計算もしていたのに、コンサルまで受けていたのに、親からの食べ物を拒否する事が出来ませんでした。
世間のために自分を殺したのです。
集団主義で生きていると、必ず足を引っ張られますので、自分の人生を思うようにデザインできません。
これはダイエットに限った話ではなく、仕事でも健康でも人間関係でも全てに言える事です。
もっと自分を大切にして下さい。
せっかく自分として生まれたのだから、自分らしく生きて欲しいと思います。
誰かに制限されて生きるのではなくて、自分のやりたい事をやって欲しいと思います。
世間から社会へ
僕が個人主義である社会的な生き方を勧めるのに、もう 1 つ大きな理由があります。
進化の歴史です。
世間と社会は常に対立し合って来ましたが、どちらが世界を牽引して来たかというと社会です。
中世以降、世界の覇権を握っているのは欧米諸国ですが、実は彼らが成功した最大の要因は個人主義を実践して来たかzだという研究報告があります。
アジア、アフリカ、南米などの国々では集団主義が重要されていました。
日本も同じです。
特に世界大戦の頃はその様相が顕著になって、特攻隊みたいなものも出て来ましたが、あの戦は集団主義が敗北した 1 つの例です。
中国がこれからどうなるかはわかりませんが、いずれにせよ今のところ世界は個人主義が引っ張って来ています。
そして、脳の観点から見ても、社会は世間よりも進化していると言えます。
人間は放っておくと世間的になってしまうのですが、それは世間的思考が動物的だからです。
脳で言うと感情や直感を司る部位で作られており、古い言い方では辺縁系が関わっています。
一方、社会的思考は理性や思考を司る部位で作られており、人間らしさを作る新皮質が関わっています。
つまり、世間より社会の方が進化しているのです。
世間を乗り越えた仕組みが、社会という事です。
社会の厳しさ
そんなわけで世間より社会を勧めているわけですが、実践前に知っておかねばならない事があります。
社会は厳しい世界であるという事です。
個人主義なので確かに自分の事を大切にできます。
他人から邪魔される事もありません。
行きたくない飲み会に行く必要もありません。
意味の無いおみやげを買う必要もありません。
非常に合理的な人生を送れると思います。
その代わり全てが自己責任になります。
邪魔されない代わりに誰もケツを拭いてくれません。
困っていても誰も助けてくれません。
結果が出なければ簡単に見捨てられます。
自分の事は自分で何とかしなくてはなりません。
個人主義とはそういう事です。
煩わしい事が無い代わりに、全て自己責任になるのです。
つまり、自立している必要があります。
それが個人主義の前提です。
これが集団主義だったら誰かが助けてくれます。
世間は干渉したがりなので、自立していなくても手を差し伸べてもらって生きていけます。
わからない事があれば懇切丁寧に教えてくれます。
失敗しても大目に見てもらえます。
お金に困っていたら貸してくれます。
魅力が無くても見放されたりしません。
助け合いの精神なのでとても安心感があります。
だからこそ、人は世間に流されます。
どう考えても世間の方が楽だからです。
生活保護とか年金保障とか医療保険とか、そういうのも全て世間的な発想から来ています。
もっと言えば、日本の会社や家族というシステムも世間的なものが基盤になっています。
逆に言うと、それだけ社会の中に身を置くのは大変という事です。
でも、敢えて社会をお勧めしたいと思っています。
大変かもしれないけれど、その方がきっと楽しいから。楽な人生では無いかもしれないけれど、きっと充実した人生を送れると思っています。
個人主義は自分が一番大事なのだから、自分にとって最高の人生になるはずです。
空気への移行
最後に、世間という形の変化についてお伝えしておきます。
現代では「世間」は「空気」という形に変わって来ています。
正確に言うと「世間」が流動化して、どこにでも現れるようになったものが「空気」です。
逆に言うと、人間は「空気」に服従していくもので、それが場所的に固定されると「世間」が作られます。
「世間」にひれ伏していたのが僕より少し上の世代で、「空気」にひれ伏しているのが最近の世代です。
そして、空気にどう対処するかを考えて来たのが西洋で、世間ベッタリで生きて来たのが日本です。
もし、あなたも社会的に生きていきたいのなら、空気を読まない事です。
「ノリ悪いな~」とか言われても気にしないで下さい。
僕自身も周りから、非常に空気が読めないと言われます。
特に高校大学の友人達からは空気を読まなさ過ぎて、お叱りを受ける事があります。
今や飲み会への出欠メールすら返さなくなって来ているので、空気が読めないと言われても仕方ないだろうと思います。
僕自身は以前、そういう空気の読めない人が嫌いだったのですが、今では自分がそうなってしまいました。
それはいつからか世間的な生き方に窮屈さを感じるようになり、社会的に生きる楽しさが何となくわかって来たからだと思います。
そのおかげで友達は減りましたけれど、自分のやりたいことを実現していくスピードは各段に上がったと思います。
簡単に言えば人生の充実度が上昇しました。
空気を読んで可能性を諦めていくのか、空気を読まずに理想を体現していくのか、どちらを取るのかは人それぞれですが、後悔の無い人生を送ってもらえたらと思います。
あなたの人生に少しでも参考になれば幸いです。